高木ぶんどう 〜福井市のラストチャンス〜「最後の挑戦。」

 出馬表明

「最後の挑戦。」
〜福井市のラストチャンス〜

2007年12月6日
高木ぶんどう

いま、福井市は危機に陥っています。1年9ヶ月前に就任したばかりの坂川優前福井市長が病に倒れて、10月末に志半ばで辞職。新しい福井市のリーダー選びが始まっていますが、現在のところ、名乗りを上げているのは東村新一・前副市長と共産党の西村高治・元市議だけです。これまで福井市役所生え抜きの村尾敬治・企業管理者が出馬の意向を固めながらも断念、さらに、自民党県連幹事長の前田康博県議が市民不在の市長選に抗議する形で「市民の信任を問う」と立候補を表明したものの、またもや出馬を断念するという異常な事態となっています。

どうしてこういうことになるのでしょうか。東村新一・前副市長は福井県庁の職員です。前回の福井市長選挙で坂川優・前市長を県庁ぐるみで応援した西川知事がお目付け役として送り込んだ人物です。坂川優・前市長が倒れて、今度は、自分の部下を市長にしようとしているのです。しかも、こうした非常識な動きに市議会の三会派、経済界、(労組)連合までが「長いものに巻かれろ」と合流して大連立・オール与党体制が組まれようとしています。そして、こうした動きに反発して立ち上がった村尾・企業管理者や前田康博・県議は、得体の知れない巨大な力にねじ伏せられるように出馬を断念させられています。

これを「談合選挙」と呼ばずして、何と呼びましょうか。選挙で民意を問う前に、一部の人たちが密室の中で談合して自分たちに都合の良い市長を決めようとしているのです。

これは時代に逆行した民主主義を否定する行為です。坂川市政を検証することもなく、21世紀の福井市のビジョンについての議論がなされることもなく、一部の人たちが勝手に福井市の将来を決めて良いのでしょうか。福井市のリーダーを決めるのは、一部の人たちでなく、一人ひとりの福井市民のはずです。

私は前回の福井市長選挙を戦ったものの、今春、県議会で議席をいただいたばかりであるので、いままで事態の推移を注意深く見守っていました。しかし、このような常軌を逸脱した不幸な事態を看過することは、むしろ政治家として無責任ではないかと考えるようになりました。

福井市でこのような愚行が行われている間にも、世界は大きく変わっています。世界は福井市を待ってくれません。このような時代錯誤の暴挙を許している余裕は福井市にはないはずです。今回は福井市が生まれ変わる最後のチャンスではないでしょうか。

最も不幸なのは、新しいリーダーを選ぶ自由で公正な機会を奪われ、『坂川市政の後継』という以外の選択岐を与えられない福井市民です。福井市の民主主義を守り、そして、福井市が未来を勝ち抜くために私が最良と考えるビジョンを福井市民に示すことこそが、私に与えられた責務であり、使命であると信じ、私は、いま一度、福井市政に挑戦することを決意しました。

幕末の福井は、他藩に先駆けて、藩士の日下部太郎(くさかべたろう)をアメリカに留学させるなど、日本で最も先進的なところでした。ところが、保守的で閉鎖的な体質が災いして、いまや、福井市は北陸三県の中で最も遅れた県都になりつつあります。

こうした厳しい現実を見据えて、もう一度世界から学び直して、グローバル時代に勝ち抜ける福井市を新生させます。人口減少・高齢化時代に合ったコンパクトシティを発展させて、未来を勝ち抜ける知識都市(クリエイティブ・シティ)を創造します。都会に出て行った私たちの友だちや子供たちが喜んで帰って来る、そして、誰もが伸び伸びと個性と能力を発揮できる自由で伸びやかな福井市を創ります。

そして、そのためには、一部の人たちの思惑でなく、『市民の常識』で動く福井市を実現させることが是非とも必要なのです。

いまからちょうど10年前の12月25日に、私は福井に戻ってきました。この10年間、『業界の常識』でなく、『市民の常識』で動く政治を実現しようと訴えてきましたが、いまだに実現できていません。10年間の政治活動の集大成として、この戦いに私は政治生命を賭けます。今回の戦いに敗れれば、私は政治の舞台から身を引きます。私にとっても、福井市にとっても、最後のチャンスです。

なにとぞ、ご理解賜りますようよろしくお願い申し上げます。

       
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