ぶんどう物語 - I N D E X -
 ■1 蛍を追いかけて -私の原風景-
■2 アメリカ留学
■3 外務省へ(その1)
■4 外務省へ(その2)
■5 危機管理その1 −大韓航空機撃墜事件−
■6 危機管理その2 −メキシコ地震−         (続く)
  5 危機管理その1 ー大韓航空機襲撃事件ー
   昭和58年(1983年)8月、2年間のアラブ首長国連邦勤務を終えて、外務省国連局の政治課に配属になった。国連では様々な国際政治の問題が議論されるが、そうした議論に際して、日本政府がどんな態度を取るべきか決めるのが仕事である。

  帰国して1ヶ月もたたない9月1日、朝方から大韓航空機が行方不明というニュースが流れていた。午後2時頃、佐藤俊一課長が、「アメリカ大使館によると、あれはソ連機に撃墜されたらしいね」と昼食から帰ってきた。「へぇー」と思ったが、自分にはまったく関係がないと思っていたので、その日は、さっさと帰宅した。

  翌朝、出勤すると、皆、眠そうな顔をしている。田中信明首席事務官が、「早く、電話をつけろ。昨夜、電話しようと思ったら、まだ、電話がなかった」と苦笑いしている。昨夜、ソ連機が大韓航空機を撃墜したというシュルツ米国務長官の声明が出されたのを受けて、乗客の中に邦人28人も含まれている日本も何らかの対応をする必要があるということで、急遽、韓国とともに安保理事会に提訴したらしい。

 「早速だが、ニューヨーク時間の明朝、つまり日本時間の今夜、ニューヨークの国連本部で安保理事会が開かれるから、すぐ、日本代表のスピーチを書いて欲しい」と指示された。しかも、翻訳している時間がないから、「英語で書け」と言う。矢継ぎ早に指示をまくし立てているのは、つい最近まで、国連事務局に出向していた田中首席事務官である。人に無理難題を押しつけておいて、「What a lucky guy!(お前は本当に幸運な男だなぁ)」などと軽口を叩いている。

  「この人はムチャクチャ言う人だなぁ」と思いながら、「ここが腕の見せ所だ」と張り切って何とか形にして出すと、「Not Bad(まあ、悪くないな)」と言いながら、電光石火で手を入れて投げ返してくる。「こうやって、ぐるぐる回そう」と言うので、まさしく、ぐるぐる回してスピーチを完成させた。

  佐藤俊一課長はのん気なもので、「僕はフランス語でお役に立てないので、君たちに任せて失礼するね」と夜7時頃に帰ってしまう(注:外務省では、在外研修で学んだ語学の種類で、「私はフランス語」と言ったり、「私はアラビア語」と言ったりする)。しかも、この日だけではない。安保理事会でソ連非難決議案の投票が行なわれるまで1週間近く徹夜の作業が続いたと思うが、ほとんど毎日のように、夜7時に帰ってしまうのである。
ところが、朝7時には、我々が疲れ切ってソファーで寝ているところに、「おはよう」と実にさわやかな声で出勤してくる。そして、世界各国から届いている電報を整理すると、要領よくメモを作り、私を走らせ、赤坂プリンスホテルで福田派の朝食会に出席している安部外部大臣に届けるのだった。

  いわゆる「事件」が起きたときの政治的な対応には、確立されたパターンがある。それは、(1)真相究明、(2)責任追及、(3)再発防止の3点セットである。現時点(2002年3月11日)で、鈴木宗男自民党代議士の北方領土がらみの疑惑がマスコミを賑わしているが、この問題も国会における証人喚問(真相究明)、自民党離党もしくは議員辞職(責任追及)、「政」と「官」の関係見直し(再発防止)という順番で処理されていくのは間違いない。

  大韓航空機撃墜事件のような国際的な事件になっても同じである。真相究明は、ソ連機のパイロットの通信記録を傍受した自衛隊のテープを米国に提供することでなされた。責任追及は、安保理の場でこのテープを公開してソ連非難の国際世論を喚起し、安保理のソ連非難決議案に対してソ連に拒否権を行使させることだった。そして、再発防止は、ICAO(国際民間航空機構)に舞台を移して、今後、二度と軍用機が民間機を撃墜することのないように国際的なルール作りが行なわれたのである。

  我々が担当したのは、安保理事会の場における責任追及の部分だった。安保理に提訴することで、日本は単なる傍観者から事件の当事国になったために、黒田国連大使の演説を書くところから、ソ連非難決議案の共同提案、そして、この決議案への賛成を取りつけるために、安保理事会のメンバー国に対して多数派工作を展開することもした。

  大韓航空機撃墜事件で、私は危機管理のイロハを学んだ。まず、佐藤課長には、功を焦って忙しがらずに、ペース配分することを学んだ。よく、プロ野球の春のキャンプで、新人選手が首脳陣に認めてもらおうと、最初から飛ばしすぎて開幕前につぶれるケースがあるが、危機管理においてもペース配分が重要である。危機管理で重要なのは重要な局面で判断を誤らないことであり、そのためには休養が必要なのである。

  事態がどう展開していくかという読みも大切である。先が読めれば、先手を打てるからである。最終的には、安保理メンバー国の多数派工作になると読んだ佐藤課長は、安保理事会に提訴した直後から、安保理メンバー国の日本大使館に関連電報を転電(転送のこと)することで、関係者を警戒態勢に置いた。こうして情報を共有することで、いざ、多数派工作の訓令を打ったときには、各地の日本大使館が一斉に動くことができた。

  危機管理は状況との競争である。危機は突然、やってくるから、最初は突発事態に対応せざるを得ない。しかし、次から次に起きる事態に対応しているだけでは、どんどん状況が拡散していって、収拾がつかなくなる。まず、状況に追いついて、ある段階で、状況を追い越さなければならない。自分の打つ手で状況を追い越すことができると、突然、状況をコントロールできるようになる。これが危機管理のエッセンスである。

  仕事でも人生でも危機に直面したときに応用できる一種のコツのようなものだが、大韓航空機撃墜事件を処理する中で、佐藤俊一課長と田中信明首席事務官に言わば以心伝心で教えてもらった。この2人は、2年間の在外勤務ですっかりボケてしまった私の性根を叩き直して、仕事とは何かを手取り足取り教えてくれた恩人である。
 
Page Top

高木ぶんどう後援会 © 2000-  TEL:0776-57-0771 FAX:0776-57-0772 MAIL:web@bundo.com